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鳥羽上皇と璋子(たまこ)

鳥羽天皇(1103~1156)が、74代天皇として即位した
のは、まだ5歳のことでした。
その実権は、祖父である白河法皇にあり、中宮の
璋子(たまこ)が、白河法皇の寵愛を受けていたのは、
待賢門院璋子(たまこ)とは…の記事に書いた通りです。

ちなみに白河法皇が没すると、藤原忠実の娘の藤原泰子
も鳥羽上皇に入内しています。

鳥羽天皇と璋子の間に生まれたのは5男2女です。
その5男というのが、次の皇子たち。

 第一皇子:顕仁(あきひと)→崇徳天皇 *
 第二皇子:  病弱だったと思われる
 第三皇子:    〃
 第四皇子:雅仁(まさひと)→後白河天皇 *
 第五皇子:覚性入道親王 →仏門へ

肝心の(?)第一皇子である崇徳天皇が、じつは白河天皇
が璋子に生ませた子だとして、鳥羽天皇は疎んじ、
その崩御の際にも、崇徳天皇は会うことさえできなかった
と伝えられます。

そしてご存知のように崇徳天皇側*と後白河天皇側*が
争うのが保元の乱ですが、璋子は1145年に没して
いますから、幸か不幸かそんな争いは知らないわけです。
息子の雅仁が後白河天皇として即位したことも・・・

ところで、鳥羽天皇と璋子の愛情関係はどうだったの
でしょう?

白河法皇がなくなった後、璋子が後ろ盾を失って、
しだいに得子(なりこ)に鳥羽上皇の「妻」の座を
奪われていったことには、異論ないと思われます。

しかし、鳥羽天皇の本心は、だれに向いていたか?
・・・
このテーマは、ドラマ的には興味深いところ。
璋子(たまこ)さんが亡くなる時に、鳥羽上皇が訪ねて
看取ったという点は、少々ホッとする気がします。

大河ドラマでは、三上博史が線の細い感じをよく
出しているようです。

  


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